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<title>ピアノについての最新情報館</title>
<link>http://macyahoo.com/piano/</link>
<description>ピアノの最新情報をお届けします</description>
<lastBuildDate>Sat, 19 Jan 2008 13:33:26 +0900</lastBuildDate>
<language>ja</language>
<item>
<title>ピアノが生まれる前</title>
<description><![CDATA[ <br />
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</script><br /><p>ピアノが誕生する前、クラヴィコードと、チェンバロゆうもんがあったそうじゃ。<br />
クラヴィコードは、紀元14世紀ごろの誕生じゃゆわれとるんじゃけぇの。<br />
ルネッサンス期に主流じゃったクラヴィコードの音域は、4オクターブ程度がたいがいで、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの愛用しょぉったクラヴィコードは5オクターブあったそうじゃ。<br />
クラヴィコードは、ぶちみやすい構造をしとり、2つん駒の上に張られとる弦をタンジェントと呼ばれる別の駒で突き上げて音を出しょぉったため、音量がぶちこもぉ、現在のピアノでゆぅとピアニッシモからメゾ・ピアノ程度の音量しか出なかったため演奏会や合奏にゃぁ不向きじゃったんじゃ。<br />
そのため、バロック期にゃぁチェンバロに主流の座を奪われてしもぉた。<br />
<br />
先程も申し上げたが、チェンバロはバロック期に登場したんじゃ。<br />
別名でハープシコードとも呼ばれるチェンバロは、クラヴィコードよりゃぁ音量が大きかった反面で、ピアノじゃぁ欠かせん強弱をつけることがでけんゆう欠点があったんじゃ。<br />
ちなみにチェンバロはドイツ語でハープシコードは英語じゃ。<br />
他にも、フランス語じゃぁクラヴィアサン、イタリア語じゃぁクラヴィチェンバロと呼ばれとるそうじゃ。<br />
各国で違う呼び名がつくほどに、このチェンバロは世界各国で愛用された楽器なんじゃろうゆぅて思われますけぇの。<br />
じゃが、フランスじゃぁ、クープランやラモーやら著名な過去の作曲家たちがチェンバロ用の曲をえっと作ったのに対し、ドイツじゃぁバッハでさえ、チェンバロ用の曲は「イタリア組曲」や「ゴールドベルグ変奏曲」くらいしか作られんかったようじゃ。<br />
このことから、ドイツじゃぁあまり主流にならんかったんかもしれんのぉ。</p> ]]></description>
<link>http://macyahoo.com/piano/entry457.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 1970 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>クリストフォリの発明とピアノ</title>
<description><![CDATA[ <br />
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</script><br /><p>1709年、イタリア人じゃバルトメオ・クリストフォリゆう名前の楽器製作者がいましたんじゃ。<br />
あんなぁは、打弦機構を持つ新しい楽器を発明し、打弦機構を持っとることによって、クラヴィコードとチェンバロの2つん長所をあわせもつ当時じゃぁ、画期的な発明を成し遂げた。<br />
ちなみに2つん長所たぁ、クラヴィコードの音の強弱が出せるところと、チェンバロの音の大きさのことじゃ。<br />
この発明品にゃぁ、『ピアノ・エ・フォルテ・クラヴィ・チェンバロ』と呼ばれる、つまりゃぁ強弱の出せるクラヴィ・チェンバロが略されて現在のピアノゆう呼び方が生まれたゆわれとるんじゃけぇの。<br />
じゃが、当時はまだチェンバロの全盛期じゃったため、ピアノを使った作曲家は歴史にゃぁ残っとらんようじゃ。<br />
原因としちゃぁ、当時のピアノ自体が作曲家の要求に応えるほどの演奏レベルを持っていなかったためゆぅて考えられますけぇの。<br />
あんなぁの発明したピアノの特徴として、まずハンマーの部分がフェルトじゃぁのぉて、羊皮紙を何層にも重ねられた表面に皮を貼ったもんじゃったこと。<br />
アクションの伝達率が現在のピアノが1:6じゃったのに対し、1:8じゃったこと。<br />
チェンバロと同様に鍵盤のあがきが、現在じゃぁ10mmなんに対して6mmじゃったことが挙げられますけぇの。<br />
<br />
他にも、クリストフォリは1726年に、エスケープメントやダンパーを発明したんじゃ。<br />
それらをクリストフォリの弟子じゃ&quot;ジルベルマン&quot;が改良して、ハンマーフリューゲルと呼ばれるもんを製作するんじゃ。<br />
1736年にJ.S.バッハにこのピアノを紹介し、1747年にゃぁ、バッハがフレデリック大王にこのピアノを使ってピアノを演奏したゆう記録が残っとるそうじゃ。</p> ]]></description>
<link>http://macyahoo.com/piano/entry456.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 1970 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>スタインの発明とピアノ</title>
<description><![CDATA[ <br />
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</script><br /><p>チェンバロ製作者じゃった、スタインゆう名前の楽器製作者が、1775年に独自のエスケープメント機構を兼ね備えたピアノの製作に取りかかったんじゃ。<br />
ほいであんなぁは、当時のピアノとしちゃぁ、ぶち弾きやすい軽やかなタッチじゃったゆわれとるほどのピアノの製作に成功したんじゃ。<br />
きょうびじゃぁ、ピアノのハンマーアクションの完成度も高くなってきとり、えっとの作曲家に受け入りゃぁじめた。<br />
ほいで、1756年にオーストラリアで7年戦争が勃発したことをきっかけに、えっとの楽器製作者が移住を開始したんじゃ。<br />
この7年戦争をきっかけに、えっとの楽器製作者はイギリスやフランスに移住するんじゃ。<br />
『南ドイツ・ウィーン派』としてゆわれとるなぁ、スタイン、ジルベルマン、シュトライヒャーやらの製作者じゃ。<br />
『イギリス・フランス派』としてゆわれとるなぁ、ブロードウッド、エラール、プレイエルやらの製作者じゃ。<br />
大きゅぅこの2つにわけられますけぇの。<br />
<br />
1777年に、モーツァルトがスタインのピアノを弾く機会があり、ぶち感激したんじゃ。といわれとるんじゃけぇの。<br />
その結果、モーツァルトはスタインのピアノを晩年まで愛用したそうじゃ。<br />
驚いたことに、当時のピアノにゃぁダンパーペダルはまだ無く、棚板下にあるレバーをひざで操作するタイプのダンパーじゃったそうじゃ。<br />
ほぃじゃが現在のピアノんように鉄骨フレームや鋼鉄弦が使われとったわけじゃぁないけぇ、それ程音量も大きゅぅなかったため、止音のあまりようないダンパーであっても充分演奏にゃぁたえるもんじゃったそうじゃ。</p> ]]></description>
<link>http://macyahoo.com/piano/entry455.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 1970 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ペダル・アップライトピアノの発明とエラール</title>
<description><![CDATA[ <br />
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</script><br /><p>1783年にゃぁ、イギリスのジョン・ブロードウッドゆわれる楽器製作者がペダルを発明したんじゃ。<br />
ペダルは今じゃぁピアノにゃぁ欠かせんもんじゃが、当時あんなぁが発明するまでペダルは棚板下にあるレバーをひざで操作するタイプのダンパーじゃったなんて驚きじゃのぉ。<br />
ほぃじゃが、さらに驚いたことに、1791年に亡くなったモーツァルトは、ペダルの存在を知っとってもペダルの付いたピアノじゃぁ作曲をせんかったそうじゃ。<br />
っちゅうこたぁ本来のモーツァルトの曲にゃぁペダル記号はなかったっちゅうことになるんじゃけぇの。<br />
<br />
ダンパーペダルの演奏に与える効果はぶち大きゅぅ、ベートーベンはブロードウッドの製作したピアノを愛用して、えっとのピアノ曲を作ったといわれとるんじゃけぇの。<br />
ピアノの音域も5オクターブに広がり、さらに、ブロードウッドは1808年に鋳鉄プレートを持ったグランドピアノを考案しとったんじゃ。<br />
<br />
ほいで1800年にゃぁ、最初のアップライトピアノがホースキンによって発明された。<br />
鉄製のフレームを持っとり、響板を支えるもんで現在のアップライトピアノの原型といわれとるんじゃけぇの。<br />
じゃが、音量がぶちこまかったため試作として終わってしもぉた。<br />
<br />
ほいで1821年にゃぁフランス人じゃピエール・エラールが、イギリスに渡りえっとのピアノの改良をフランス革命が始まる前に行いましたんじゃ。<br />
こうしてピアノはえっとの楽器製作もんらによって、現在のピアノにちぃとずつ近づいてっとるんじゃ。<br />
<br />
ほいでこの後、かの有名な産業革命とフランス革命によって、ピアノはもっと急速に現代のピアノに近づいていくんじゃ</p> ]]></description>
<link>http://macyahoo.com/piano/entry454.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 1970 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>産業革命とフランス革命のピアノに与えた影響</title>
<description><![CDATA[ <br />
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</script><br /><p>バロック期ころにピアノが発明されてからさまざまな楽器製作者がちぃとずつ改良してったのがピアノの歴史じゃ。<br />
ピアノは、さまざまな生活背景のもとにちぃとずつ今のピアノに近づいとったんじゃ。<br />
ここにきて、ピアノは急速に現代のピアノにぐんと近づくんじゃ。<br />
<br />
18世紀後半に起こった産業革命により、ブルジョアといわれる富裕層の市民階級が生まれた。<br />
ほいであんなぁらぁ、貴族社会の象徴でもあるピアノを手に入れようとするんじゃ。<br />
こうしてピアノの需要が急増してしまい、家内工業的な少量生産じゃぁ、供給が追いつかのぉなってしまいますけぇの。<br />
そのため、次第にピアノは工場での大量生産へと移り変わっていき、その規模はまたたくまに拡大したんじゃ。<br />
ほいでその際に、ピアノにとっていくつかの画期的な技術が導入されてったんじゃ。<br />
<br />
ほいでからに、フランスの有名なフランス革命じゃぁ、それまで音楽家の庇護者ゆっても過言じゃぁない貴族社会が崩めぎゃぁじめ、えっとの音楽家は職場を失ってしもぉた。<br />
そのために職場を失った音楽家たちゃぁ、生きていくために大衆社会に進出せざるを得なくなったんじゃ。<br />
演奏様式も今までの小規模のサロンじゃぁのぉて、大ホールにえっとの聴衆者を集めたコンサートんような形をとるようになっていきましたんじゃ。<br />
そのためピアノはさらなる音域の拡大と音量の増大の必要に迫られた。<br />
ほいで、産業革命以降に大きゅぅ発展することになった工業技術を駆使してさまざまな改良が加えられることになったんじゃ。</p> ]]></description>
<link>http://macyahoo.com/piano/entry453.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 1970 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>エラールのレペティションレバー</title>
<description><![CDATA[ <br />
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</script><br /><p>フランスに生まれた、ピエール・エラールっちゅう名前の人物がいますけぇの。<br />
あんなぁは1809年に、フランス革命の前にイギリスに渡り、当時のピアノにえっとの改良を加えてった人物じゃ。<br />
ほいでそのあんなぁの発明の中でも、最高の発明じゃゆわれとるんが「レペティションレバー」の発明じゃ。<br />
こりゃぁ、鍵盤の動作をハンマーっちゅう部分に伝えるジャックをすばやく始動位置に復帰させることにより、いままでよりも早（はよ）ぉ連続打鍵をすることがでけるようにするもんじゃ。<br />
<br />
ほいでその後の1821年にゃぁ、これにさらに改良を加えてダブルレペティションが完成するんじゃ。<br />
これによって、打鍵した鍵盤を完全に始動位置に復帰させることをせんでも、次の打鍵を行うことがでけるようになったんじゃ。<br />
エラールの発明はグランドピアノのためじゃったそうじゃ。<br />
<br />
1811年にゃぁ、ロバート・ワーナムがバックチェック、ブライドルテープを発明するんじゃ。<br />
構造の都合でアップライトピアノにレペティション機構を採用することができんかったため、これらの機構の発明はアップライトピアノの演奏力を飛躍的に高める結果になったんじゃ。<br />
今現在においても、この技術はアップライトピアノに採用されとるんじゃけぇの。<br />
<br />
ほいでからに、余談じゃが、このころに生まれた有名な作曲家として、1810年生まれのショパンやシューマン、1811年生まれのリストがいますけぇの。<br />
特にリストは、1824年にエラールのピアノを演奏したっちゅう記録も残っとるんじゃけぇの。</p> ]]></description>
<link>http://macyahoo.com/piano/entry452.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 1970 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ピアノの進化</title>
<description><![CDATA[ <br />
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</script><br /><p>1825年に、アメリカでボイラー工場を経営しょぉった経営者のアルフェーズ・バブコックは本格的な鋳鉄製のフレームを作ったんじゃ。<br />
当時のピアノの音域は演奏者の要求があり、４オクターブじゃったもんが次第に５オクターブに増え、６オクターブへと増えていき、木製の支柱ばっかしじゃぁ鉄線や真鍮線であってもその張力を支えきれのぉなりょぉったんじゃ。<br />
その結果、鉄骨でブロードウッドが補強し、バブコックが鋳鉄製フレームを考案するところにおったったんじゃ。<br />
<br />
ほいで1819に、ダイアモンドダイスが発明されて、1835年にゃぁ精度の高くなった鋼鉄線が発明されると、ピアノに取り入れられた。<br />
そうすることで、張力が１０kgの鉄線のピアノ弦よりも、張力が８０kgじゃ鋼鉄線のピアノ弦のほうが比べ物にならんほど音量も大きゅぅ、倍音も豊かになったんじゃ。<br />
このため、鋳鉄製のフレームでのぉたらピアノの全張力を支えるこたぁできなくなったんじゃ。<br />
<br />
ほいで1840年、チェッカーリングっちゅう人物がグランドピアノのために総鋳鉄製のフレームを考え出したんじゃ。<br />
こりゃぁ、バブコックのスクエアピアノ用鋳鉄フレームたぁ違って張力を計算に入れた本格的なもけぇ、現在のピアノと同じようにチューニングピンの部分のプレートとアグラフブリッジを一体化したもんじゃったそうじゃ。<br />
<br />
1845年にゃぁチッカーリングは、スクウェアピアノに交叉式弦を発明するんじゃ。<br />
演奏者の要求のために６オクターブ以上の音域じゃったピアノの低音域の弦の長さは、ピアノ本体に収まりきれん長さになりょぉったんじゃ。<br />
ほいで低音の弦は斜めに張ることによってピアノ本体の大きさをこもぉすることができたんじゃ。<br />
さらに、アップライトピアノじゃぁ高さを低くすることでコンパクトにすることが可能になったんじゃ。<br />
その後トーマス・ラウドっちゅう人物がそれをグランドピアノに採用したんじゃ。</p> ]]></description>
<link>http://macyahoo.com/piano/entry451.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 1970 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ピアノの普及とスタンウェイ一族</title>
<description><![CDATA[ <br />
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</script><br /><p>産業革命によってピアノにゃぁ大きな変化がもたらされた。<br />
そりゃぁ、アメリカでの大量生産による低価格化の進行とアップライトピアノの市民層への普及の拡大ゆぅた変化じゃ。<br />
このころじゃぁ低価格で良質なアップライトピアノがキンボールや、ボールドウィンやらによって大量に作られとったそうじゃ。<br />
<br />
その後、第二次世界大戦が勃発するんじゃ。<br />
この戦争の結果、ヨーロッパは荒れ果ててしまい、ドイツやらのピアノメーカーは生産を休止せざるを得なくなったんじゃ。<br />
ほぃじゃが、戦勝国じゃったアメリカにおったスタンウェイは戦後も生産を休止することものぉて、コンサートグランドピアノの分野においてきしゃっと力をつけてったのじゃったんじゃ。<br />
<br />
スタンウェイっちゅう人物は、1849年にドイツからアメリカへと渡るんじゃけぇの。<br />
ほいでスタンウェイの一族は1853年に、ニューヨークでアップライトピアノを作りだした。<br />
その後の1856年にゃぁ、グランドピアノの製作に着手して、1859年にゃぁ低音部の軟銅線を2重にして巻くっちゅう方法により弦の長さをみじこぉすることに成功するんじゃ。<br />
はぁ当時じゃぁ、現代のピアノと同じ7オクターブと4分の1で、ペダルの2本付いたピアノが作られとったことじゃろう。<br />
ほいで、その後も第二次世界大戦の被災を免れたあんなぁらぁ生産を続けていき、世界シェアを独占することができたんじゃ。<br />
スタンウェイのピアノは世界のあらゆるところで一流のピアニストたちに愛され続けとるんじゃ。</p> ]]></description>
<link>http://macyahoo.com/piano/entry450.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 1970 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ヤマハの歴史とピアノ</title>
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</script><br /><p>日本の有名なピアノメーカーとしてヤマハがあるんじゃ。<br />
ピアノを学んどる人のたいがいがこの名前をどこかしらで聞いたことがあるゆぅて思いますけぇの。<br />
<br />
明治21年、西暦でいうと1887年じゃ。<br />
このころ静岡県の浜松市で暮らしょぉった、宮大工の山葉寅楠(やまは　とらくす)っちゅう名前の人物がいましたんじゃ。<br />
あんなぁは、浜松小学校で使っとった足踏みオルガンの修理を頼まれ、見事修理したことからオルガン作りを開始したんじゃ。<br />
ほいで、その後の明治33年に記念すべき第一号の国産のアップライトピアノじゃ「ヤマハカメンモデル」を完成させた。<br />
まだそのころは、海外から部品を輸入して組み立てとったそうじゃ。<br />
その後の1902年、ヤマハ株式会社(日本楽器製造株式会社)はグランドピアノの製作に着手し始めたのじゃったんじゃ。<br />
ほいで、大正15年、西暦で1926年に技術指導と製品改良の着手のために、ベッヒシュタインの技術者じゃエール・シュレーゲル氏を招くんじゃ。<br />
その年、労働争議が勃発し、昭和2年にゃぁ川上嘉市っちゅう名前の人物が社長に就任したんじゃ。<br />
昭和25年にゃぁ、戦後の生産が開始。<br />
日本楽器は川上源一氏を社長に、コンサートグランドの製作をはじめた。<br />
コンサートグランド(CF)は1967年に完成。<br />
<br />
こうして激動の日本を生きてきたヤマハは、今も伸び続けとるんじゃけぇの。<br />
<br />
名前:山葉寅楠(やまは　とらくす)<br />
生没:1851（嘉永4）年4月20日生、1916（大正5）年8月8日没</p> ]]></description>
<link>http://macyahoo.com/piano/entry449.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 1970 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>カワイの歴史とピアノ</title>
<description><![CDATA[ <br />
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</script><br /><p>現在のカワイ(河合楽器製作所)は、創業者じゃ「河合小市」っちゅう人物が、日本楽器製作所を退職したのちに&quot;河合楽器研究所&quot;を設立したことが始まりじゃ。<br />
河合小市氏が退職したあと、天才として有名じゃったっちゅう河合小市氏を慕って、日本楽器製作所で働いとった技術もんらも小市氏に続いて次々に退職していきましたんじゃ。<br />
主な退職者としちゃぁ、平出幸太郎氏、県松太郎氏、伊藤勝太郎氏、斉藤哲一氏、森健氏、杉本義次氏、青木金吉氏やらが挙げられますけぇの。<br />
あがぁなぁらぁ、1928年にグランドピアノの製造を始めた。<br />
その翌年じゃ1929年にゃぁ、&quot;河合楽器研究所&quot;を&quot;河合楽器製作所&quot;と改めた。<br />
ほいで、小市氏の名声を知る楽器販売店たちが、続々と取り引きを希望したため、業績は年々大きゅぅ増えていきましたんじゃ。<br />
1952年にゃぁ小市氏が亡くなり、娘婿じゃ「河合滋」っちゅう人物が社長に就任するんじゃ。<br />
河合滋氏は、は事業のさらなる大幅な拡大に成功したんじゃ。<br />
ほいで1980年に、グランドピアノの専門工場じゃ&quot;河合楽器竜洋工場&quot;が完成したんじゃ。<br />
その翌年の1981年にゃぁ、カワイフルコンサートグランド「EX」の生産が開始され、ますます河合楽器製作所は伸びていくことになるんじゃけぇの。<br />
<br />
カワイは、現在の日本において、ヤマハと並ぶほどの知名度をもった代表的なピアノメーカーじゃゆぅて思いますけぇの。<br />
カワイの歴史を見ょぉると創造者じゃ河合小市氏がどがぁに天才的じゃったかを感じることがでける。<br />
<br />
現在のカワイ(河合楽器製作所)は、創業者じゃ「河合小市」っちゅう人物が、日本楽器製作所を退職したのちに&quot;河合楽器研究所&quot;を設立したことが始まりじゃ。<br />
河合小市氏が退職したあと、天才として有名じゃったっちゅう河合小市氏を慕って、日本楽器製作所で働いとった技術もんらも小市氏に続いて次々に退職していきましたんじゃ。<br />
主な退職者としちゃぁ、平出幸太郎氏、県松太郎氏、伊藤勝太郎氏、斉藤哲一氏、森健氏、杉本義次氏、青木金吉氏やらが挙げられますけぇの。<br />
あんなぁらぁ、1928年にグランドピアノの製造を始めた。<br />
<br />
その翌年じゃ1929年にゃぁ、&quot;河合楽器研究所&quot;を&quot;河合楽器製作所&quot;と改めた。<br />
ほいで、小市氏の名声を知る楽器販売店たちが、続々と取り引きを希望したため、業績は年々大きゅぅ増えていきましたんじゃ。<br />
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1952年にゃぁ小市氏が亡くなり、娘婿じゃ「河合滋」っちゅう人物が社長に就任するんじゃ。<br />
河合滋氏は、は事業のさらなる大幅な拡大に成功したんじゃ。<br />
ほいで1980年に、グランドピアノの専門工場じゃ&quot;河合楽器竜洋工場&quot;が完成したんじゃ。<br />
その翌年の1981年にゃぁ、カワイフルコンサートグランド「EX」の生産が開始され、ますます河合楽器製作所は伸びていくことになるんじゃけぇの。<br />
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カワイは、現在の日本において、ヤマハと並ぶほどの知名度をもった代表的なピアノメーカーじゃゆぅて思いますけぇの。<br />
カワイの歴史を見ょぉると創造者じゃ河合小市氏がどがぁに天才的じゃったかを感じることがでける。</p> ]]></description>
<link>http://macyahoo.com/piano/entry448.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 1970 09:00:00 +0900</pubDate>
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