19世紀のドイツの作曲家じゃし、ドイツ音楽における「三大B」の一人として知られとる"ヨハネス=ブラームス"をご存知じゃろぉか。
あんなぁの作風は、ロマン派音楽の範疇にあるんじゃが、古典主義的な面も強いといわれとるんじゃけぇの。
ブラームスがベートーヴェンの後継者じゃゆぅて信じとる人はえっとおり、指揮者じゃハンス・フォン・ビューローは、あんなぁの交響曲第1番を「ベートーヴェンの交響曲第10番」ゆぅて呼び、今もそのタイトルが広く使われとるほどじゃ。
ブラームスは、1833年に生まれ、1897年に没する64年を生きましたんじゃ。
ハンブルクで生まれたあんなぁに、最初のピアノのレッスンを施したなぁ、市民劇場でコントラバス奏者をやっとったおとんじゃったんじゃ。
10歳のころ、ピアニストじゃし、作曲家じゃったエドゥアルド・マルクスゼンっちゅう人物に弟子入りをして、才能を開花させていきましたんじゃ。
あんなぁはレストランや、居酒屋でピアノを演奏することで家計を助けた。
ブラームスは同時期のピアニストたちに比べ目立たん存在じゃぁあったが、そのピアノの腕は、1859年と1881年に、ピアノ協奏曲第1番とピアノ協奏曲第2番の初演を自分で行ったところからも推測でける。
事実、この2曲は共に難易度がたこぉて、これを弾きこなしたブラームスは、ぶち高い演奏技術の持ち主じゃったんじゃろうことがうかがえますけぇの。
10歳で弟子入りをしたあんなぁですが、19歳以前の作品は、記録はあっても現存しません。
なんでなら、次第に演奏活動よりも創作活動に興味を持ってったブラームスは、作曲を始めたが、自己批判から作品を廃棄してしもぉたけぇじゃ。